【アドラー×教育】叱ってもいけない、褒めてもいけない。脱・賞罰教育への道

【アドラー×教育】叱ってもいけない、褒めてもいけない。脱・賞罰教育への道

 

はじめに

 今回のテーマは「叱ってもいけない、褒めてもいけない」です。

2021年の4月、Twitterで「教育界で言われている4月の黄金の3日間にどんなことをしますか?」というtweetがありました。

そのtweerに対して多くの方が私のクラスではこんな活動をしています!自己紹介するときは〇〇をしながら自己紹介します!それぞれ趣向を凝らした実践を紹介していました。

中でも1番多かったのが「先生が叱る時の3つの条件」や「先生が褒める3つの基準」といったものでした。私自身も以前のクラスでは先生が叱る基準、褒める基準を子どもに示して、良い取り組みをしているなと自画自賛していたものです。

しかし、アドラー心理学を知り、それを教育に落とし込もうと実践してからは、こういった先生が〇〇する基準を示すことに一定の距離感を持つようになりました。というのもアドラー心理学においては、一切の賞罰教育を否定しているからです。

これは、学校で毎日のように聞く、子どもの良いところを褒めましょう!、悪いことをしていたら、怒らずに毅然とした態度で叱りましょう!といった学校現場での当たり前を真っ向から否定する考え方です

今回の記事を通して、なぜアドラー心理学では賞罰教育を否定するのか、そして褒めることも叱ることもしないのであれば、私達教員はどのように子どもたちに関わっていくのかの行動指針になる具体的なアクションプランも載せていますので、最後までご覧ください。

 

   

叱ってはいけない理由

 叱ってはいけない理由はいくつかあります。

その1つ目は「子どもはそれが悪いこと、良くないことだと知らなかった」です

考えてみれば、学校とは様々な初めてを学ぶ場でもあります。入学すると下駄箱の使い方、廊下の歩き方、朝の支度の仕方、手の挙げ方、宿題のやり方など、数え出したら切りがないほどの初体験を学んでいきます。だからこそ、我々教員からすれば当たり前である「廊下は走らないで静かに歩く、教室に入る時には挨拶をしながら入ろう」といったことでも子どもはそれを知らないという前提に立って、一つ一つ丁寧にその行動の意味や良さについて教えていく必要があるのです。

しかし、廊下は走らないと1度言っただけで、子どもたち全員が廊下を走らなくなるかというと、ご存知の通りそうではありません。

それでも教員に求められるのは、求めている行動の良さや意味について丁寧に伝えていくことでしかありません。

スポーツで例えるなら、バスケットのシュートフォームの改善を要求されたときに、アドバイスされた次のシュートから理想のシュートフォームで打つことができないように、理想の実現には長い年月と地道な努力が必要だということを再認識する必要があるでしょう。

 そして叱ってはいけない2つ目の理由は、「子どもたちは叱られることも含んだ上で問題行動を取っている」ということです。

「きちんと宿題を提出しなさい!」「掃除中に遊んではいけません!」

といった教育界の決まり文句はおそらく1年生から6年生まで毎日、毎月、毎年言われ続けていることでしょう。

しかし、叱るという行為が有効であれば、始めの何回か叱っておけば問題行動はなくなるはずです。

それでも子どもが何度叱られても問題行動を止めないのは、叱るということが教育上なんら有効的でないことの動かぬ証だからです。

子どもからしても宿題をやらなかったり、掃除中に遊んでいたりすれば叱られることは2年生にでもなれば分かるはずです。それでもうっかりミスとかではなく、意図的に問題行動をしているということは、叱られることを前提としていると考えた方が自然ではないでしょうか。

 では、問題行動を目の前にした時にどのようなコミュニケーションを取ることが必要なのでしょうか。

それを理解するためには、まずコミュニケーションの目的・目標を理解する必要があります。では、みなさんはコミュニケーションの目的・目標と聞かれて、パッと答えが浮かぶでしょうか。

私は当初コミュニケーションの目的・目標とは「自分の意思や考えを相手に伝えること、相手からの意思や考えを受け止めること」と考えていました。

しかし、アドラー心理学では少し違いました。アドラー心理学におけるコミュニケーションの目的とは「合意の形成」でした。

伝えるだけでは意味がなく、伝えた内容が理解され、一定の合意に取り付けた時に初めてコミュニケーションは意味を持つのだそうです。

 これを踏まえた上で叱るということを考えると、叱るとは一切のコミュニュケーションを捨てた暴力的な行為といえるでしょう。

子どもに対しての話し合いや説得といった建設的な手段を煩わしく感じ、手っ取り早く相手を自分の思うように操作・屈服させようとする行動であるからこそ、アドラー心理学では叱るという行為を否定しています。

 

ちなみに子どもの取る問題行動の目的については以下の記事で詳しく触れていますので、良ければご覧下さい。

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褒めてはいけない理由

 次になぜ、アドラー心理学では教育現場で「褒めてはいけない」という原則を貫くのか。

褒めたら喜び、伸びる子どもがいるのに、どうして褒めてはいけないのか。褒めることによって、どんな危険を冒しているのか。について解説していきます。

褒めてはいけない理由は、「褒めるという行為が立場や人間として上の者が下の者に下す評価」だからです。

例えば「偉いね」という褒め言葉を想像すると、自分から見て下の者にしか使わない言葉ではないでしょうか。

小さい子がお手伝いをしている時に「偉いね」と言うことはあっても、自分のパートナーや上司などが家事や仕事をしている時に「偉いね」と言うことはまずないと思います。

こういった褒める言葉は自然と上の者、下の者といった縦の関係を築いていくことになります。

アドラー心理学では、縦の関係ではなく、子どもと大人も横の関係を築こうと提唱されているのです。

また、褒められることが定着してしまっている子は、自分のする行いが良いかどうかを教師や親などの他人に委ねていることになります。

アドラー心理学では、子どもたちには自分のする行いを教師や親に褒められるためではなく、本当に自分が良いと思ったから行う自立した心を目標にしているのです。

また子どもたちが教師から褒められよう褒められようと考えていくとどうなるのでしょうか。

このような考え方が蔓延してくると、だんだんと周りの子は敵になり、この子よりも良いことをしないと褒められない、あの子よりも成績が高くないと褒められない、とクラスの中が競争社会になっていくことになります。

 

これからのアクションプラン

 それでは問題行動とされるものを叱ることもできず、良い行動を褒めることもできなくなった私たちはどのような行動を取ればいいのでしょうか。

一言で言うならば「感謝」するのです。子どもが何かしてくれた時、良い行動を行なっているときには「ありがとう」、「助かったよ」と感謝するのです。

イメージとしては自分のパートナーや親友が同じことをしたときにかける言葉を考えるのが良いでしょう。

但し、注意しなければいけないのは「テストで100点を取ってくれて、ありがとう」と言うのは完全なる評価であり、感謝ではありません。結果に注目せず過程に注目して感謝を伝えていきましょう。

また、例えば子どもが丁寧に漢字練習をしているのを見て「ありがとう」と言うのはおかしな気がしますよね。そんな時は「嬉しい」と伝えましょう。

「あなたが丁寧に漢字練習をしているのを見ると私まで嬉しいよ」とIメッセージ(私は〜と思う)伝えるのです。感謝することとIメッセージをこれから子どもと関わる時の主軸にしていきましょう。

 

終わりに

 さて叱ってもいけない、褒めてもいけない、どうでしたでしょうか。

私自身、アドラー心理学を教育に取り入れていく中で、この賞罰教育を行わないというのがかなり難しく感じています。

叱らないことでクラスは学級崩壊に向かうのではないか、褒めないことで子どもたちは、適切な行動をしなくなるのではないかと常に不安を背中に感じながら実践している真っ定中です。

ただこればっかりはアドラーを信じながら、改善していくしかないように感じます。

嫌われる勇気では、本当の意味でアドラー心理学を自分のものにするには、それまでの人生の半分の時間が必要だと書かれています。

つまり私は約30歳でアドラー心理学を学び始めたので、半分の15年、45歳になる頃にやっとアドラー心理学を自分のものにすることができるのです。その時まで、一歩一歩着実に歩んでいきたいと思います。

この記事を読んで少しでも共感してくださった方や私と同じようにアドラー心理学を教育に取り入れようとしている方の少しでも参考になれば幸いです。

 

   

それでは今後もスマートな教員を目指していきましょう!

では、また。次の記事で  Thank you

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