【本】「反応しない練習」 幸せな教員がもつべき4つの心構え
さぁ、シリーズでお伝えしてきた「反応しない練習」ですが、今回はもつべき心構え編です。
前回までの内容で題名にもなっている「反応しない心」の手に入れ方について解説してきました。
今回は、では「反応しない心」を手に入れたら、これからどんなことを考えて人生を歩んでいけば良いのか、という人生における行動指針について解説していきます。
さぁ、今回の記事を通して、自分の中に迷わない、苦しまないための新たなる芯を1つ手に入れることができるはずです。それではいってみましょう。
人生における4つの心がまえ
ブッダの教える、幸福な人生を送るためにもつべき4つの心がまえとは、慈、悲、喜、捨の心がまえのことを指します。本の内容をそのまま引用すると
慈【慈しみの心】──これは、相手の幸せを願う心です。自分の都合や欲求を通すことではなく、純粋に「相手が幸せであるように」と願う心のことです。
悲【悲の心】──これは、相手の苦しみ・悲しみをそのまま理解すること。相手の「悲」に共感することです。
喜【喜の心】──これは、相手の喜び・楽しさをそのまま理解すること。相手の「喜」に共感することです。
捨【捨の心】──これは、手放す心、捨て置く心、反応しない心です。「中立心」ともいいます。たとえば、欲や怒りという反応に気づいて、ストップをかける心がけです。
これら心がまえを教育現場、学校にも取り入れるとどうなるでしょうか。
慈【慈しみの心】
ここでは純粋に学校に来る子ども達の幸せを願うようにしましょう。
学校に来るのが楽しい、明日も学校に来たい、健やかな生活を送りたいという子ども達の気持ちを尊重するのです。
考えてみれば学校とは不思議な場所です。
特に義務教育である、小学校・中学校は、ほとんどの子がとりあえず行っているに過ぎません。
習い事やゲームのように子どもが自発的にやりたいと思ってしているのではなく、
6才になったから、親に言われて、周りの子も行っているから、といった理由で登校しているのです。
我々は、学校という存在が、子どもたちにとって自発的に行きたい・楽しいと思える場所になるように務めるべきです。
悲【悲の心】
ここでは、子ども達の葛藤、悩み、苦手なことを理解できるようにしましょう。
自分主体で考えると、どうして宿題をしてこないんだ、文字を丁寧に書かないんだ、何故こんな簡単な問題も解けないんだ、と考えることもあるかもしれませんが、そんな時こそ子ども主体で考えることができるようにしましょう。
宿題をしてこないのには、家庭での問題が隠れているのかもしれない。
この子は文字を正しく認識する力が弱いのかもしれない。
この子にはこの問題を解くための根本的な知識が不足しているのかもしれない。
今日はたまたま他のことで気分が悪い、体調が優れていないだけなのかもしれない。
この子はまだ成長している過程の段階であり完璧など求めてはいけない。
〇〇の部分は確かにできていないかもしれないが、お友達に優しくできる、休み時間にはたくさん運動している、元気に登校して笑顔を見せてくれる。
そんな風に子どものありのままの姿を見ようとした時に初めて子どもが何に悩んでいる、苦しんでいるかを理解できるのではないでしょうか。
喜【喜の心】
これは、分かりやすいし多くの方が実践しているのではないでしょうか。
子ども達が勉強でもスポーツでも何かができるようになった時に見せる笑顔を大切にすることは教員としては当たり前です。
しかし、もっと踏み込んで考えると、子ども達は勉強やスポーツなど、所謂大人から見て、微笑ましい、健全と言えること以外でも喜んでいる、楽しんでいる時がたくさんあるのではないでしょうか。
家で行うゲームにしかり、公園のルール外の遊び、塀に登ったり、雑巾を振り回したりと子どもの楽しいと思ってする行動の一部は大人からみて褒められるようなものばかりではありません。
ですが、大人の物差しで考えたときに到底認めることができないようなことも当の子どもたちから見れば純粋に楽しんでいる結果ともいえます。
そんな時にこそ、子どもたちの関心事に関心を向けてあげましょう。
それは、子ども達の行動を推奨するわけでなく、子ども達が楽しんでいることを認めつつも大人として教師として教えてあげなければならないことはキチンと教えてあげるということです。
捨【捨の心】
これを私なりに言い換えるならば支配しない心構えと捉えることができます。
教師として子ども達の前に立ち、学習の仕方、校内のルール、クラスの決まりを子ども達に説くことは毎日の日課かと思います。
しかし、それは教師という役割として子ども達に伝えているのであって、
教師が偉いとか、子ども達を言うがままに支配できるということと混同してはいけません。
教師の人達は真面目な方が多く、常に子ども達にどんなことを伝えれば、教育すれば子ども達がより良くなるかを考えています。
しかし、その時その場面で教師の働きかけで思考や能力が向上しているように感じる子もいれば、なんの変化もない、むしろ以前より悪化しているように感じる子ども一定数存在するのが事実です。
そんな時に出来ていない子に執着することなく、捨の心を使って捨て去りましょう。
目の前に現実を悲観することなく、今日の〇〇くんには私の指導は響かなかったんだな、いつか響く時は来るだろうか、どんな伝え方をしたら伝わるのだろうかと考えていくのです。
終わりに
さぁ、4つの慈・悲・喜・捨の心構えいかがでしたでしょうか。
多少の新発見はあった人もいるかもしれませんが大筋で語られていることは、当たり前とっていったらそれまでで、すでに道徳や社会や親から見聞きしたことが多かったかと思います。
でも、私はそれで良いと思っています。
テクノロジーに思想に情報に様々な物が氾濫する現代の世の中で幸せになるための心構えを突き詰めていった先が、誰もが大切であるというシンプルな考え方に終着したのは、見方を変えれば面白いとも言えます。
【子ども達の幸せを願い、悲しみを理解し、喜びに共感し、自分の思い通りにはならない1人の人間として尊重する】
このシンプルにして最も根幹的な心構えを自分の中心におき、追求していくことが教師としての幸せなる生を歩む道標になるのだと私は考えています。
それでは今後もスマートな教員を目指していきましょう!
では、また。次の記事で Thank you