【本】「反応しない練習」教員が絶対に理解しておくべき〇〇論
今回は以前紹介した「反応しない練習」の更に一歩踏み込んだ内容です。
前回の記事では、悩みの原因や根本にあるのは、目の前の事象ではなく、それに対する自分の心の反応だということを解説しました。だからこそ、本のタイトルは「反応しない練習」となっているのです。
そして、今回はどのようにすれば、心が反応しなくなるのか、さらに反応しない心では何を考えていくのかを解説していきます。
今回の記事を通して更に悩みやストレスといったマイナス的感情の少ない教員人生を送っていきましょう。
正義の反対はまた別の正義なんだ
まず始めに悩みやストレスの原因には、お金、仕事、恋愛、将来など多岐に渡るかと思いますが、公務員として教職に付いているみなさんにとって悩みの円グラフの最大項目は仕事における人間関係かと思います。
今回はそんな人間関係にスポットを当ててお話しします。お金や恋愛などについてはまた別の記事で!
さて、教員の仕事では、クラスの子どもたち、その保護者、同僚や先輩・管理職の先生方など関わる人の数は、ざっと見積もっても100人近くに登るのでしょう。
ここで極めて大事な考え方の大前提を話しますが、学校現場で関わる人で悪い人は1人もいないということです。
もう1度言います。学校現場で関わる人で悪い人は1人もいないのです。
ちょっと待ってください、そんなこと言うけど私の学校には〜との声が聞こえてきそうですが、クラスで忘れ物や友達とのトラブルばかり起こすあの子も、無理難題を学校に要求してくる保護者も、理不尽な扱いやいつも否定してくる教員にも悪い人はいないのです。
もし、あなたが前述したような人に遭遇しているのなら、こう考えるようにしてみてください。
「あの人(子)と私の正義は違う」
もっと端的にいえば、人はそれぞれ「〜べき」が違うと認識しても良いかもしれません。
これを私は個人個人の~べき論と呼んでいます。
観察カードには1人1人違う丁寧なコメントを書くべき
うちの子どもは漢字を書くのが苦手なんだから、宿題の量は減らすべき
僕がボールで遊びたいんだから、〇〇くんは僕にボール貸すべき
人間関係における悩みとは、この自分と相手との「〜べき」が違った時に生まれることになるのです。
観察カードも宿題の量もボールの貸し借りも私から見れば〜べきの違う悩みの種かもしれないですが、当の本人からすれば、自分の意見こそが正義だ!正しいんだ!と思ってこその主張となっているのです。
そして相手と自分の〜べきが違うと分かった後にすることは、自分の意見の正当性やその根拠となる事実やデータを使って、相手に自分の正しさを認めさせる!!
ではなく、相手の意見や態度に反応しないようにして自分の心を失わないことなのです。
子どもや保護者、同僚の人と揉めそうになったら、
「べきが違う、べきが違う、人それぞれのべきが違う」と念じるように心の中で唱えて心が反応しないようにしましょう
ここでもタイトルにもなっている反応しないという言葉が出てきました。
更に自分の心が反応していないことが確認できたら、次のステップ「相手を理解する」へと移っていきましょう。
相手を理解するためのステップ
①相手のことを判断しない
第一段階は「相手のことを判断しない」です。
自分と合わない、自分に悩みを与えてくる子や人に対して、
「また〇〇くんは、また頓珍漢な答えを書いてる、中々学力が伸びないなあ。」
「いつも⬜︎⬜︎さんの親からクレームがきた、あそこはいつも無理難題を言ってくるんだよな。」
という過去の経験則などから判断を下していないでしょうか。
前記事でも書きましたが「判断する」というのは、それ自体が「自分は正しい」と思う力を強め、ある種の優越感に知らず知らずの内に浸ってしまう危険な行為だと認識しなくてはいけません。
そして、相手に対してマイナスな判断を下すということは自分自身の心の中に苦悩を生み出すことにも繋がります。
他者のために、なんて崇高な理念をもたなくても、もっと自分の心を大切にして、自分にとってマイナスだから判断しないと思って良いのです。
②過去は忘れる
第二段階は「過去は忘れる」です。
前もあの子はこんなことをした、以前にもあの保護者にこんなことを言われた、そんな誰しもが持ち合わせている心の反応からも距離を取りましょう。
仏教では過去のことで怒りや苦悩が生まれるのは、過去の出来事に対する記憶に現在の自分が反応し、怒りを再生成していると考えられています。
もし過去のことを思い出して負の感情が沸いてきたらそれは、あなた自身の過去の記憶に対して怒っているのであって、相手は関係ないのです。
③相手は常に新しい人として見る
第三段階は「相手は常に新しい人として見る」です。
これは人の心は毎日、毎時間、毎瞬、移ろいゆくものだから、常に新しい人だと考えて接しようというものです。
毎日、宿題を忘れてくるあの子も、頻繁に連絡帳に難題を言ってくる保護者もそれはあくまで記憶の中の過去の相手であり、目の前の子どもや保護者はそこから様々な思考や経験を経た新しい人なのです。
過去にこんなことがあったから悪い子・人だ、良い子・人だと決めつけるのではなく、
朝目覚めると共に、教室で「おはよう。」と挨拶をすると共に常に相手を新しい人だと見る心がけをしましょう。
④理解し合うことを目的にする
第四段階は「理解し合うことを目的にする」です。
私はこう思っているという考えが相手に理解されるというのは非常に大事なことです。
しかし、これは「私は」こう思うであって、それが唯一無二の正解とは限りません。
相手にとっての「私は」こう思うも当然然るべきできあって、お互いのこう思うというのは往々にして異なるものです。
そこで相手を自分の「こう思う」で言い負かす、論破しようとするのではなく、〜べき論を思い出して、私はこう思うけど、あなたはこう思うんですね、と割り切って考えられるようにしましょう。
もう一つ大事なことは、理解してもらうのには時間がかかるということです。
ここは私も自戒の念を込めて、強調しますが、自分の思いを理解してもらうのには時間がかかるのです。
子どもたちに向けてどんなに丁寧に、分かりやすく意義や目的、大切さを説いたとしても子どもたちが即座に理解してくれるとは限らないのです。
子どもたちは基本的に先生の話を聞くでしょうし、先生がこうしましょうと言ったら頑張ろうと意欲を見せる子が多いでしょう。
だからこそ錯覚しやすいのですが、そこでこちらの意図に反している子が居た時に、なんで他のみんなはすぐに理解して頑張っているのに〇〇さんだけは頑張ろうとしないんだ!と思ってしまいがちです。
そんな時に理解してもらうのには時間がかかるというこの言葉を思い出してほしいです。
他の子がすぐに理解できたことも〇〇さんが理解するのには時間が足りないだけかもしれません。
そこで焦ることなく、相手がいつか理解してくれると信頼して、向き合っていくことです。(信頼とは相手が関係のない、こちらの選択の一つです。)
⑤関わり方のゴールを見る
最後の第五段階は関わり方のゴールを見るです。
人と人との関わり合いの中で最もあってはならないのが、憎しみ合う、苦しめ合う関係です。
ただ、頭では分かっては居ても、人は時々自分の意思とは関係なく、この双方に負の関係を続けてしまうことがあります。
そんな時こそ、ブッタの教える「執着こそが苦しみを生んでいる」という理解に立ち戻るのです。
そして、苦しめ合うために関わっているのではない、お互いが理解するために、幸せになるために関わっているのだ、と考え直すのです。
終わりに
いかがだったでしょうか。今回紹介した「〜べき」理論は職場だけでなく、家庭や社会など様々なことに応用ができるかと思います。
コロナ禍を例に取っても、マスクをした方が良い、マスクをする方が体調が悪くなる、最近では、アクリル板が部屋の空気の循環を妨げるので良くないとの記事も見かけました。
じゃあ、今ではほとんどの飲食店や公共施設で置かれていたアレは何だったんだ!となりそうな物ですが、これら全ても主張する人にとっては自分の意見が正しいから〜べきと思っている主張なのです。
大事なことは良い意味で周りの人や意見、情報から一歩引いたスタンスを取り、物事を俯瞰して見られる、考えられることだと思います。
ちなみにですが、私が心酔しているアドラー心理学で今回の記事を通して、誰かと対立しそうになった時はお互いの正義、〜べきが違うんだという今回の話を思い出し、相手との関わりのゴールを着実に目指していって欲しいと思います。
それでは今後もスマートな教員を目指していきましょう!
では、また。次の記事で Thank you