【アドラー×教育】98点のテストに「凄いね!」は絶対にダメ!

【アドラー×教育】98点のテストに「凄いね!」は絶対にダメ!

 今回は【アドラー×教育】98点のテストに「凄いね!」は絶対にダメ!と称して、価値判断の基準は、子どもに委ねようという話をしていきたいと思います。

今回のメインテーマである価値判断とは、結果や事実に対しての良い、悪い、凄い、惜しいといった判断のことを主に指します。

テストで良い点を取った子のテスト用紙に「素晴らしい!」とコメントを入れる。

書初めで金賞・銀賞を取った子学級通信で褒め称える。

漢字練習帳の文字の綺麗さで「完璧」「素晴らしい」「もう少し」などのハンコを使い分ける。

このように、学校では教師や大人の基準に当てはめて、子どもたちを評価・判断していないでしょうか。

ドキッっとした方がいるのではないでしょうか。おそらくそういった方が多いと思います。

というのも、今挙げた例は全て私が過去実践してきた指導だからです。

その当時はこういった実践が本当に子どもたちのためになると信じて行ってきましたし、実際に子どもや保護者の方からテストのコメントや漢字練習帳のスタンプのおかげでやる気が出ました・文字が丁寧に書けるようになりました、といった反応も貰っていたのも事実です。

しかし、今はすっぱりやめました。

そして、これで良かったのだと恐れながら自負しています。

さぁ、今回の記事を通して、どうして大人が子どもに対して価値判断をしてはいけないのか、そして価値判断を下さないのであればどうしていくかについて解説していきます。

それでは、いってみまよう!

 

なぜ価値判断をしてはいけないのか

 大人や他者がなぜ価値判断をしてはいけないのかのまず1つ目の理由は「自分で自分の行ったことを評価できなくなる」です。

何かの行動・言動を行うと必ず大人や周囲に凄い・偉い・良くない・悪いといったことを判断されていた子の思考は、自分がこれからしようと思っている行動は先生や友達はどう思うだろうか、という思考に行き着くことでしょう。

もちろん、周りのことを考えて行動が出来るということ自体は素晴らしいのですが、それは、あくまで主体的に行動するから良いのであって、他者に評価されるために行う行動というのは、本当の意味での善事とは呼べません。

善事を行うことも、悪事をしないことも、褒められるから行う、怒られるからやらない とはなってほしくないものです。

2つ目の理由は「人によって価値の基準が違う」ということです。

漢字テストを例に話していきます。突然ですが、漢字の50問テストが98点だったら、その結果は凄いのでしょうか。

凄いor凄くないで答えるとしたら凄いと答える人が多いかと思います。

しかし、これに幾つかの条件を足された時、凄いかどうかは分からなくなってくるはずです。

まず大前提としてこのテストが何年生の問題でいったい誰が解いたのかということです。

3年生の問題を1年生が解いたのか、3年生が解いたのか、6年生が解いたのか、大人が解いたのかによって98点という意味は大きく変わってくると言えるでしょう。

そして、たとえ同学年であっても人によって価値判断の基準は異なります

例えば、同じ3年生だとしても今まで漢字テストではいつも満点、漢字には絶対の自信を持っており、今回も満点であることを確信していた子と漢字に苦手意識をもっており、勉強はしたけれど、合格点の90点にいっていれば良いかなと思っている子にとって98点という点数は全く違った意味合いをもってくることでしょう。

そんな状況も鑑みずに教師の方から今回も満点だと思っていた子に対して「凄いね!」と声をかけたり、90点にいってれば御の字だと思っていた子に「100点まで惜しかったね。」と声をかけたりすることは、子どもとの意識のずれを生むことになりかねません。

子どもが自分の行いを自分で判断できなくなる、子どもと教師の価値判断基準にはズレが起こりやすい、といった理由から、教師は子どもたちに対して一方的な価値判断を伝えるべきではないのです。

 

これからのアクションプラン

 では、我々教師はこれからどのようにしていくのが正解なのでしょうか。

ここからはこれからの具体的なアクションプランを2つ解説していきます。

それは①感謝を伝える。 ②事実ベースで伝える。の2つです。

まず子どもが行っている行動には、評価ではなく、感謝という形で伝えていきましょう。

これは脱・賞罰教育でも述べたことですが、子どもの良い・道徳的・模範的な行動に対しては、「そんな行動・言動をしてくれてありがとう。」や「先生は嬉しい。」といった風に接するのです。

これにより、偉いね、凄いね、素晴らしいといったどこか押し付け気味のスタンスから一歩も二歩も引くことが出来ます。

また問題行動や非道徳的行動などに対しては、そういうことをされると先生は悲しいけど〇〇さんはどう思うかな、というℹ︎メッセージ+投げかけ、子どもが自分の行動を振り返る、判断する余白を残した形で伝えましょう。

2つ目のアクションプランは事実ベースで語ることです。

先程の漢字テストで言うならば、「凄い!」や「惜しかった!」と価値を伝えるのではなく、事実として何点だったのか、前回の漢字テストより何点上がったのか、下がったのかを伝えることです。

前回より5点上がったことを喜ぶ子もいるが、5点しか上がらなかったと悔しがる子もいるかもしれません。

10点下がったことを悲しむ子もいれば、10点しか下がらなかったと安堵する子もいるかもしれません。

大事なことは、それをどう解釈するかは子ども次第ということが大事です。

そして、我々教師は、事実や結果として子どもが望んでいる成長に導くことこそが役割だと思っています。

ドラゴン桜という漫画で言うところの教師は、勉強して結果を残したい子どもに効果的な勉強法や心構えを伝えることはしますが、模試の点数が上がった、東大に合格したという事実をどう捉えるかは子ども次第という訳です。

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終わりに

 【アドラー×教育】98点のテストに「凄いね!」は絶対にダメ! いかがだったでしょうか、今回私が解説したのは、何も教師は子どもに対して何もしなくても良いといった極論でないことを最後に抑えておきます。

褒めることもしなければ、叱ることもしない、そして今回解説した価値判断も伝えないというアドラー心理学的教育というのは、言葉だけ見ると、ロボットが教えているかのようなどこか殺伐とした印象を受ける方がいるかと思います。

しかし、これは全くの誤解で私は、アドラー心理学的教育こそ人間愛に満ちた教育だと信じています。

そしてそう断言する最大の根拠は、アドラー心理学的教育が目指すところが子どもの「自立」であるという点です。

子どもたちを強制や脅迫で突き動かすような弾圧的な教育ではなく、子どもたちの内面から発せられる成長したい、学びたいといった優越性の追求を勇気付けや援助といった形で後押しするのがアドラー心理学的教育であり、真の自立の獲得に繋がるのです。

この記事を読んで少しでも共感してくださった方や私と同じようにアドラー心理学を教育に取り入れようとしている方の少しでも参考になれば幸いです。

 

   

それでは今後もスマートな教員を目指していきましょう!

では、また。次の記事で  Thank you

 

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